管理人が通学していた学校です。旧名は「淳和じゅんな」小学校です。
でも、この旧名を知ったのは最近です。管理人が住んでいた実家の辺り

には、淳和院跡があります。

http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heian/heian31.html

ですから、ある時、淳和小学校という名前を聞いた時、もしかしてと閃き
ました。淳和院とは淳和天皇の離宮のことです。これを聞いた巡り合わ

せをお話します。管理人の母がある病院に入院してた時、管理人は、
たまたま同室におられたNさんという方と世間話をしていました。ちょうど

震度3の地震があった翌日でした。地震でびっくりしたことを話してました
ら、Nさんは台風の方がもっと怖いと言い出しました。何故?なんですか

と聞いたところ、Nさんから、「第1次室戸台風」の話を聞くことが出来
ました。昭和9年9月21日に京都を襲った猛烈、強烈な台風です。

Nさんは当時、淳和小学校の1年生でした。今ですと、台風が来るのが
分かりますから、たぶん臨時休校となって、自宅待機でしょうが、その当時

はまだまだ予報が、予測が、つかなかったんでしょうね。教室で台風を
迎える事になったという訳です。Nさんは、1階の教室だったそうです。

激しい雨風で、建物が倒壊しそうな気配になってきたそうです。2階の
2、3年生が校庭に避難して、次にNさん達1年生が避難しようとしてた時、

建物が大音響と共に崩壊したそうです。担任の先生がNさんを必死に抱き
かかえるように守られたそうです。ですが、隣の教室の担任の先生は、

生徒を必死にかばったのと引き換えに悲しい最期をとげられたそうです。
幸いにも、Nさんと担任の先生は助かりました。Nさんは、発見されるまで、

3日間もの間、ガレキの下敷きで、生き埋め状態だったそうです。軍隊の
工兵隊によって発見され、救助されたそうです。かばった先生は背骨骨折、

Nさんは脚の骨を骨折してたそうです。しかも複雑骨折だったため切断と
いう診断が下されました。もう家族も本人も切断止むなしと、なかば諦めて

いたところ、ある、高名な先生(医師)が私が手術するから、切断するなと
言われたそうです。そして、難しい手術が成功し、元通り歩けるようになった

そうです.。ここまで聞いて、管理人はもしかして淳和小学校とは今の西院
小学校のことではないかと、Nさんに問うたところ、そうですその通りですと

おっしゃられたました。っていうことは、Nさんは管理人の大先輩ってこと
なのです。本当に貴重な体験談を大先輩から聞いたことに感謝しました。


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